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●インドネシアのストリートチルドレンを支援している現地の養護施設、ヤヤサン・プルマタ・バリ(旧ヤヤサン・ワハナ・アナック・ムダ)に住む子供たちへの就学支援と同施設の維持運営に対する支援
●デンバサールにあるスラムの子供たちが通うフリースクールへの支援
●ウブドにある助産院ヤヤサン・ブミ・セハットの支援及び助産師を目指している子供たちへの就学支援
●スラム地区の子どもたちや養護施設に保護されている子どもたちの自立支援のために、日本語教室及び識字教育のための図書室を兼ね備えたエデュケーションセンターの開設
2、インドネシアでの活動の内容
●インドネシアのストリートチルドレンを支援している現地の養護施設ヤヤサン・プルマタ・バリ(旧ヤヤサン・ワハナ・アナック・ムダ)に住む子供たちへの就学支援と同養護施設の維持運営に対する支援
【同プロジェクトの概要】
@ストリートチルドレンと呼ばれている子どもたち等の保護及び就学支援
A養護施設プルマタ・バリへの維持及び運営支援
【同プロジェクトの目標】
IMFによるとインドネシアは、2011年GDPにおいて世界16位の経済国になっています。
しかし、2011年アジア開発銀行の調査によると1日2ドル未満で暮らす貧困層は1億1743万人でインドネシアの全人口の約半数が依然として貧困層であるとされています。このことからインドネシア国民の貧富の格差は急激に拡大していることが統計からもわかります。
チョウタリィでは、同プロジェクトの目標を次のように掲げています。
@貧困の連鎖を止め、貧富の格差の拡大を止める。
Aストリートチルドレンを生み出さない社会を作る。
B貧困層の子どもたちに教育を受ける機会を与える。
C子どもたちが未来に夢や希望を持つことができる環境を作る。
【同プロジェクトの経緯】
←クタのヤヤサン・プルマタ・バリにて
観光地として有名なバリ島のクタ地域には、以前アグン山の噴火によって仕事を失ったムンティ村出身の人たちが暮らすスラム街が存在していました。
しかし、2002年のバリ島内で起きた同時多発テロ事件以降、クタ地域のスラム街は、区画整理がなされ解体されてしまいました。
その後、そのスラムに住んでいた人々は、新たにデンバサールなどの地域に拡散し、それぞれの地域で小規模なスラムを形成して暮らしています。
その家族の子どもたちは、学校にも通えず、またストリートチルドレンと呼ばれ観光客に物乞いや土産物を売って生計を立てているケースも未だに見うけられます。
チョウタリィでは、1999年より現地の養護施設であるヤヤサン・プルマタ・バリをカウンターパートとして、ストリートチルドレンと呼ばれている子どもたちの保護活動、生活支援、就学支援を行い、同養護施設の維持運営に対しての支援を行っています。
カラン・アセムに移転した養護施設プルマタ・バリ
2009年頃より、インドネシアをはじめとする東南アジアの経済は、急激に発展し、世界的に有名な観光地であるバリ島においては、観光ホテルの建設ラッシュが激しくなっています。
そのため、バリ島の中心地クタにある同施設の家賃価格も爆発的に急騰し、さらに、家主が敷地の売却を希望していたため同施設の立ち退きを迫られ、同施設の存続の危機をむかえる事態となりました。
この問題の解決を図るため、4年間に及び移転支援を行い、その結果、同施設の本拠地となる場所をカラン・アセム県とし2012年より順次移転を行い2014年に移転が完了致しました。なお、中学生以上の子どもたちは、通学のことなどを考慮してデンパサール市に移転しました。
【これまでの同プロジェクトの成果及び問題点】
2009年以降インドネシアの急激な経済発展に伴う経済格差(貧富の格差)の拡大や物価の上昇などにより同プロジェクトは困難を極めています。
チョウタリィが支援を行っている養護施設プルマタ・バリがバリ島の中心地クタからカラン・アセム県及びデンパサール市に移転することができ、同養護施設の存続の危機は何とか脱することができました。
移転先のカラン・アセムでは、1500坪の敷地を確保し、住居施設などを建設し、自給自足のために敷地内に畑や手作りのバイオガス施設を作りました。自然と触れ合いながら子どもたちは生活を営んでいます。
【同プロジェクトの概要】
●デンバサールにあるスラムの子供たちが通うフリースクールへの支援
@スラム地区で暮らす子どもたちへの教育支援
Aフリースクールへの運営支援
【同プロジェクトの目標】
@貧困の連鎖を止める
A貧困層の子どもたちに教育を受ける機会を与える。
Bストリートチルドレンを生み出さない社会にする。
Cスラム地区で暮らす人たちに教育の重要性の認識を高めてもらう。
C子どもたちの未来に夢や希望を持てる環境を作る。
【同プロジェクトの経緯】
フリースクールで勉強する女の子→チョウタリィでは、デンバサールのスラム地区に住む子どもたちのためのフリースクールの支援活動を行なっています。
スラム地区では、家庭の状況や金銭的なことで正規の学校に通うことができない子どもが多くいます。
そしてそのような子どもたちは、読み、書き、計算等の最低限の教育さえも受けることができないため、子どもたちの将来において安定した仕事に就くことができず、夢や希望を持つことができない状況となっていました。
チョウタリィは、スラム地区内にフリースクールを開設して、最低限度の教育を子どもたちに受けてもらいたいと思い、ヤヤサン・プルマタ・バリに依頼して教師を派遣し、フリースクールの支援を行っています。
【これまでの同プロジェクトの成果及び問題点】
フリースクールは、学校に通うことのできない子どもたちにとっては、唯一の教育を受けることのできる場所として一定の役割を果たしているものと思います。
また、子どもたちの家族においてもフリースクールを通して教育の重要性の認識が高まり、以前はフリースクールにさえも通わせなかった家庭においても、今は経済的に苦しくても、自分の子どもをなんとか正規の学校に通わせたいと思う意識を持ちはじめています。
しかし、同地区においても近年における土地価格の高騰により、スラムの解体が進んでいます。そのため住民は立ち退きを余儀なくされており、同プロジェクトにおいても深刻な影響を受けています。
●ウブドにある助産院ヤヤサン・ブミ・セハットの支援及び助産師を目指している子供たちへの就学支援について
【同プロジェクトの概要】
@助産院ヤヤサン・ブミ・セハットへの運営支援
A助産師養成支援
【同プロジェクトの目標】
@インドネシア・バリ州の妊産婦及び新生児の死亡率を限りなくゼロに近づける。
A金銭的に貧しい妊産婦にも安心して出産できる助産院を増やす。
B助産院の良好な環境を作る。
【同プロジェクトの経緯】
←助産院ヤヤサン・ブミ・セハット
インドネシアでは、貧しさのため検診にも行けない妊婦が多く、妊産婦の死亡率は、アセアン諸国で最も高い状況となっています。2006年のデータによるとインドネシアでの妊産婦の死亡は、10万人に対して307人で、バリ島に限れば718人と言う極めて高い状況となっています。
チョウタリィでは、この状況を踏まえて、2008年より現地の助産院ヤヤサン・ブミ・セハットに対して同助産院の運営における支援を開始しました。
同助産院では、一日に10数名の出産を行っています。また、貧しい人には、無料で出産の処置を行い、裕福な人からは寄付と言う形で支払いを受けています。
しかし、資金面での問題や助産師不足の問題など、同助産院における状況は決して楽観できるものではないのが現状です。
チョウタリィでは、同助産院への運営支援を行うと共に、今後も多くの貧しい人々が安心してより安全な出産を行うことができるためには、一人でも多く助産師を増やすことにおいて助産師不足等の問題を解消することが必要ではないかと考えました。その結果、同助産院でボランティアで活動しながら助産師を目指している人に対して助産師養成学校に通うための就学支援活動を開始しました。
【これまでの同プロジェクトの成果及び問題点】
同助産院では、同プロジェクトを開始した当時とは異なり、ここ数年において世界各地からの支援の輪が拡がり、現在では安定した運営が行われています。その結果として、同助産院の代表であるリム・ロビン女史は、2011年度のCNNヒーローズトップ10に選ばれました。しかしながら、同助産院の運営そのものが支援で支えられているため、支援を必要とする状況には変わりありません。
●スラム地区の子どもたちや養護施設に保護されている子どもたちの自立支援のために、日本語教室及び識字教育のための図書室を兼ね備えたエデュケーションセンターの開設
【同プロジェクトの概要】
@スラム地区及び養護施設の子どもたちへの日本語教室の運営
Aエデュケーションセンター内における図書室の運営
【同プロジェクトの目標】
@貧困層の固定化をなくし、貧富の格差の拡大を止める。
A子どもたちの将来の自立につながる教育を与える。
B日本とインドネシアの友好と交流を深めることのできる人材を育てる。
C子どもたちの未来に夢や希望を持つことができる環境を作る。
【同プロジェクトの経緯】
エデュケーションセンター→
急速に拡がり続ける世界的な経済のグローバル化において、中国、インドをはじめインドネシアを含めたアジア地域の経済は、ここ数年で大きな発展を遂げています。
しかし、この発展は、同時に同国内における国民間において深刻な経済格差の拡大を生み出し、貧困層の固定化が進んでいます。
経済発展に取り残された貧困層において深刻な問題の一つに、貧困であるゆえに教育を受けることのできない子供たちが、次世代においてもなお貧困層からの脱却ができないことであると言うことです。
そこには、子どもたちに未来がありません。
チョウタリィではそれらの格差の固定化のスパイラルを断ち切ることが、問題の解消の一つになるのではないかと考えました。
そこで、バリ島においては観光産業など経済的に日本との関わりが大きいことを視野に入れ、子どもたちの将来の自立にも大いに役立つとの考えから日本語教室と図書室を併設したエデュケーションセンターを2008年5月にクタ地域に開設しました。
その後、当センターの建物の賃貸契約の期間が2011年で終了し、チョウタリィでは、契約の更新を望みましたが、貸主が他者に当該不動産の売却を行う予定であることを理由に契約の更新には至らず、急遽プルマタ・バリに隣接する建物を一時的に賃借し移転しました。
さらに、2012年のプルマタ・バリのカラン・アセムの移転に伴い、同センターも同施設内に移転しました。
当センターで子供たちが、日本語を習得し将来何らかの形で日本と関わる仕事に就き、貧困からの脱却を図り、未来に希望を持てる生活を送ってもらいたいと願っています。
【これまでの同プロジェクトの成果及び問題点】
インドネシアの急激な経済発展に伴う地価の上昇によって同プロジェクトにおいてもその運営は、困難な状況となっています。スラム地区においても住宅などの建設ラッシュが起こり、その結果スラムの解体が進み、スラム地区で暮らしていた人々は、次々とその地を立ち退かされています。
そのためスラム地区の子どもたちへの日本語教育は断念せざるを得ない状況となっています。
また、養護施設の子どもたちに対する日本語教育においても、同養護施設がカラン・アセムに移転して間もないことや同養護施設の子どもたちが小学生以下で特に幼児が多いいため、子どもたちにとっては、日本語が難しい点もあり本格的な教育には至っておりません。ただし、図書の利用は行われています。
また、デンバサールに移った中学生以上の子どもたちは、中学生の頃から日本語を学んでいるため、簡単なコミュニケーションをとることができる程度の日本語を習得しています。